なぜ人は耐えるのか

皆さんは何かに耐えることができているでしょうか。

耐えることは辛いし、しんどいことではあります。


耐えて何か意味があるのかと思われる人も中に入るかもしれません。

そんな時、なぜ人は耐えるのだろうかと考えたことはありますか?


耐える人の例として、農夫がいます。

農夫は種を蒔いて、手間をかけてずっと耐えたりしています。

それが分かるところが聖書にも書かれています。


ヤコブの手紙4章7節

見よ、農夫は、地の尊い実りを、前の雨と後の雨とがあるまで、耐え忍んで待っている。


種を蒔いた農夫が雨を待っていると書いています。

これは雨が降ることによって、穀物が育つから雨が降るまで耐え忍んでいるのであり、雨が降った後には穀物を刈ることができるから、例え辛かったとしても、耐え忍んで待っているということです。


農夫の例からも分かるように、耐え忍んだ後にはその分の見返りが返ってくると信じているから耐えることができます。


これは農作の話だけではなく、生活の中で、耐えがたいことが起こることもあると思います。そんな時に耐え忍ぶことができたら、その後には何か見返りとして得られるものがあると信じて、耐え忍ぶことが大切だということです。


是非耐え忍んだ後に得られる喜びを感じるために、耐えることに挑戦していきましょう。


Takomaru

Lord's love ~大阪主愛教会ブログ~

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