多くは語られていない有名人

旧約聖書の中に中心人物という各時代に神様と繋がる人がいました。
特に信仰の土台を立てた3人、アブラハム、イサク、ヤコブが有名です。
アブラハムは従順さと鳥を割かなかった罪について語られることがあります。
ヤコブは民族次元の祝福の根源を作り、祝福を受ける過程が語られることがあります。
ではイサクは・・・と考えると、思いつくものがあまりない。
 
強いて言うならアブラハムがモリヤ山にイサクを捧げに行き、神様のためにイサクを殺そうとしたところでアブラハムの信仰の良さを見られたことで語られるくらいです。
 
 
なので今回はイサクについて語りたいと思います。
上記に挙げたモリヤ山のところでアブラハムの凄さが目につくのですが、ちょっと待てと私は思います。確かにアブラハムの信仰は凄いと思います。年老いてから妻サラが長年願って生んだ子なのですから。

アブラハムは既に老齢でイサクと共にモリヤ山に行きました。
イサクはアブラハムに捧げる小羊を持って行かなくて良いのか聞くところがあります。アブラハムはイサクに神自らが小羊を備えてくれるだろうと答えました。
 
それを聞いたイサクは「んん?」と思ったことでしょう。捧げる小羊を持って行かずにば燔祭を捧げることってあるのか?まさか捧げ物は・・・俺か?と薄々気づいていたでしょう。イサクもそんなに鈍くないはずですよね。
 

老齢のアブラハムよりもイサクの方が力が強く、抵抗も出来たでしょう。しかし抵抗することをせず、そのことを分かった上で、アブラハムに付いていったところが従順さを受け継いでいるところでもありますが、イサクの凄さを感じるところです。
 
さて、イサクがしたことと言えば、井戸を掘り返したことです。
井戸を掘るといっても、今の時代のような掘りやすい重機や機能性のあるスコップが当時あったとは考えにくいです。
まさか素手で掘ったのかな?とも考えられますが、相当手が強くないと出来ないでしょう。スコップがあったとしても現在ほどの機能性があるわけでもないので苦労したのではなかろうかと思います。
 
ゲラルの谷で井戸を掘り、水を見た人たちはその井戸は我々のものだと言って争いました。また他にも井戸を掘りましたが、そこも我々のものだと争われました。他の場所に移り井戸を掘るとそこは争いませんでした。
 
イサクは当時、ペリシテ人の王アビメレクよりも栄えていて、力があったにも関わらず、井戸が自分のものだという人々に抵抗しませんでした。
争うのを好まなかったのかもしれませんね。
 
そして争わずに得た井戸が一番良い井戸で栄えるように神様が導いてくださいました。
 
 
 
イサクの行なったことを見ると、井戸掘りすぎ(笑)
争いを好まないのか抵抗もせずに譲ったのはイサクの人格の良さの表れでしょうか。
また、多くは語られないにも関わらず、イサクはアブラハム、イサク、ヤコブの中で一番長生きして祝福を受けました。
 
イサクよ、もう少し語られても良いのではないか。
語られないのが勿体ないと思い、語らせて頂きました。
 
Takomaru

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