鬼のような仕打ち
皆さんは普段生活する中で、何か厳しい状況にあったりしますでしょうか。仕事となると、どうしても厳しい状況にあったりするものです。
聖書を見るとそのような状況があったりします。
旧約聖書のモーセの時のことです。
パロ王に神様に犠牲を捧げに行くために労役を止めて三日ほどの道を行かせてほしいと頼んでみたけれど、駄目だと一蹴されました。また、レンガを作るために民たちに藁を与えていたが、それを与えてはならず、更にレンガは今まで通り作れと言ってきたのでした。
これを通して、私も仕事で取引先からあれもダメ、これもダメ、ああしろ、こうしろと理不尽極まりない仕打ちをされたことが思い出されました。
その瞬間、モーセやモーセについてきた民たちの何とも言えない心情が伝わってきました。あれがだめなら、打開策としてこれをしようと思い、提案しても悉く却下されるけれど、ここはちゃんとしろと無茶難題を吹っ掛けてくるのです。憤怒を起こしたくなるし、関係性も悪くなるし、状況も悪くなるし、良いことがない状態で、結果は求められる理不尽さに嫌気がさされます。
今の時代で言えば、ハラスメントに値するでしょう。
そんな中で民たちをまとめて、神様に従わせないといけないモーセも溜まったもんではありませんでした。
ちゃんとした関係性を構築するためには、何でもかんでもだめで自分の都合の良いことばかり支持しるのではなく、お互いに尊重し合いながら、持ちつ持たれつの関係性でやっていくことです。
そうしてこそ、物事に収集をつけられて、結果もついてくるようになっていきます。聖書も自分の経験を通してこそ、当時の人たちの心情や状況が分かって、より深い理解になっていきます。
自分の経験と重ねて聖書を読んで、より近いものにしていきたいものですね。
Takomaru
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