神様は完全さを好まれる
聖書の中には生活する上でためになることが書かれていることが多いです。且つ神様の心情が述べられていることも多いです。そんな中、神様の心情が述べられつつも教科書のように教えられているところがあると感じます。それはマタイによる福音書です。
マタイによる福音書といえば、新約聖書にある四大福音書の一つです。マタイは12使徒のうちの1人でもあります。
マタイによる福音書5章39節
「もし誰かがあなたの右の頬を打つなら、他の頬をも向けてやりなさい」
確かに右だけ打たせると顔がゆがむよなって、おい(笑)
右を打たれたなら左も打たれなさいとは寛容な心を持って接しろということでしょうか。確かに寛容な心を持つことは大切だと思います。
マタイによる福音書5章46~48節
「あなた方が自分を愛するものを愛したからとて、何の報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。兄弟だけに挨拶をしたからとて、何の優れたことをしているだろうか。そんなことは異邦人でもしているではないか。それだから、あなた方の天の父が完全であられるように、あなた方も完全なものとなりなさい。」
これは読めば読むほど味を感じられる箇所だと思います。確かに自分が愛する人を愛するのは当然だし、挨拶するのも当然だと感じます。神様は当たり前のことの望んでおられるのではなく、愛さない人を愛するという神様の完全さを望んでいらっしゃるということですね。
神様が創造した人間は神様に近づいてこそ疎通できるし、共感できるようになるからこそ、神様は人間に完全さを好まれているという聖句です。
だから神様に似るために完全さを目指していけたら良いのではないかと思います。
Takomaru
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