人々が驚く表現
聖書には様々書かれておりますが、避けては通れないのが死についてです。死について肉体の死もあれば、霊魂の死もあるので、詳しく読んでみないと分からないのが聖書です。単純に肉体の死だけなら分かりやすいですが、肉体の死であれば良く分からないところも出てきます。分からないところは霊魂の死というわけです。
しかし、死の概念で驚くような表現をした人がいます。
それは使徒パウロです。
パウロといえば、迫害する側から迫害される側にスイッチした異例の人でもありますが、当時の使徒の先駆者として死について書かれている箇所があります。
コリント人への第一の手紙15章31節
「私があなた方につき持っている誇りにかけて言うが、私は日々死んでいるのである」
日々死んでいるとはどういうことなのでしょうか?
普通に考えたら死ぬことは一度のはずなのに日々死ぬとは。
ヒントが書かれています。
コリント人への第一の手紙15章44節
「肉の体でまかれ、霊の体によみがえるのである。」
つまり、肉体が死に霊体でよみがえるということです。これを日常的にまで落とし込むと、古い自分が死に、新しく生まれ変わるということを意味しています。
これを考えた上で、パウロの日々死んでいるというのを考えると、日々古い自分が死に、新しく生まれ変わるということです。
死についてマイナスイメージが強いですが、死ぬ=新しくなると考えればプラスイメージに変わり、死ぬことも良いのではないかと思います。
そういう意味なら皆死んで生まれ変われば、希望ではないかと思います。
パウロのように私は日々死んでいると誇れるように、日々新しく変化していきたいものですね。
Takomaru
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