言葉には気をつけよう
普段生活をしていると、例えば、ツイッター炎上とか誰かが誰かを批判したとかニュースになることがあるかと思います。
つまり、誰がどういう言葉を発するかによってニュースになり得る世の中であることが窺えます。
聖書にも言葉に関して書かれているところが多くありますが、一つ紹介したいと思います。
ヤコブの手紙3章6節
「舌は火である。不義の世界である。舌は私たちの器官の一つとして備えられたものであるが、全身を汚し、生存の車輪を燃やし、自らは地獄の火で焼かれる」
舌というのは言葉のことをいいます。舌は火の役割をして、全身を汚すこともあるし、自らを地獄に陥れてしまう可能性のあるものだということです。
また、こうも言っています。
ヤコブの手紙3章9~10節
「私たちはこの舌で父なる主を賛美し、また、その同じ舌で、神にかたどって作られた人間を呪っている。同じ口から、賛美とのろいが出て来る。私の兄弟たちよ、このようなことは、あるべきでない。」
褒め称えることと呪うことの二つを行なうことができるということですが、それではいけないと言われています。
言葉には良くも悪くも力があります。例えるなら諸刃の剣ですね。
一般的にも言葉は言霊とも呼ばれており、言葉によって何かしら影響をもたらすことを表しています。
良い言葉は人に力を与え、悪い言葉は人から力を奪い、血気や争いを起こさせます。これが分かっていながら、なぜ悪いことがニュースになりやすいでしょうか。
それは悪い言葉が脳に衝撃を大きく与え、人を食いつくようにしてしまうからです。
だから我々は一人ひとりが言葉に気をつけなければなりません。
良い言葉が世の中に満ち溢れると、人々も良くなっていくでしょう。
人も世の中もそのように良く作っていきたいものですね。
Takomaru
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