言葉によって人は生きる

人は生きていると、良い言葉を聞くこともあれば、悪い言葉を聞くこともあると思います。しかし、その言葉が自分にどれだけ影響を及ぼすかを考えて、言葉を聞いている人がどれだけいるでしょうか。


言葉は生き物であり、諸刃の剣とも言われたりすることもあります。

なぜなら、良くも悪くも人に影響を与えるからです。


だから、人は聞く言葉を考えて生きていくことが知恵を持った生き方ではないでしょうか。

神様も言葉を語られ、それによって人が生き返ることが聖書にも書かれています。


エゼキエル書37章1~10節

主の手が私に臨み、主は私を主の霊に満たして出て行かせ、谷の中に私を置かれた。そこには骨が満ちていた。彼は私に谷の周囲を行き巡らせた。見よ、谷の面には、はなはだ多くの骨があり、皆いたく枯れていた。彼は私に言われた、「人の子よ、これらの骨は、生き返ることできるのか。」私は答えた「主なる神よ,あなたはご存知です。」彼はまた私に言われた、「これらの骨に預言して、言え。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、私はあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす。私はあなたがたの上に筋を与え、肉を生じさせ、皮で覆い、あなたがたのうちに息を与えて生かす。そこであなたがたは私が主であることを悟る。」私は命じられたように預言したが、私が預言した時、声があった。見よ、動く音があり、骨と骨が集まって相連なった。私が見ていると、その上に筋ができ、肉が生じ、皮がこれを覆ったが、息はその中になかった。時に彼は言われた、「人の子よ、息に預言せよ、息に預言して言え、主なる神はこう言われる、息よ、四方から吹いてきて、この殺されたものたちの上に吹き、彼らを生かせ。」そこで私が命じられたように預言すると、息はこれに入った。すると彼らは生き、その足で立ち、はなはだ大いなる群衆となった。


これは神様と預言者エゼキエルのやり取りです。谷に乾いた骨が散らばっており、そこに神様の声である御言葉を言うと、筋ができ、肉が生じ、皮が覆い、息が入ったということです。つまり、精神が死んでいた人たちが神様の御言葉を聞いたことによって生きた精神に作り替えられ生き返ったということです。


言葉には人を生かすことのできる力があります。良い言葉で人が生きるのですが、最良の神様の言葉である御言葉によって人は本当の意味で生き返ることができます。


だから、エゼキエルの時のように多くの人が神様の御言葉を聞いて、生き返ることができたら良いですね。


Takomaru

Lord's love ~大阪主愛教会ブログ~

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