自分の心に実を結ぼう
皆さんは自分がどんな心を持っていて、どう行動しているか自分で把握出来ていますか?
誰しも心というものが存在し、心のあり方によって行動が変わるという経験をしたことがあると思います。自分を客観的に見ることが出来たら、自分の心を把握し、より良いものに作ることが出来るでしょう。
聖書にも心について書かれており、良く例えられているので紹介したいと思います。
マタイによる福音書13章3~8節
イエスは例えで多くのことを語り、こう言われた「見よ、種まきが種を蒔きに出て行った。蒔いているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥が来て食べてしまった。他の種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。他の種は茨の地に落ちた。すると、茨が伸びて、塞いでしまった。他の種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。」
これらがどういうことか聖書に解説されています。
マタイによる福音書13章19~23節
誰でも御国の言葉を聞いて悟らないならば、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪い取っていく。道ばたに蒔かれたものというのは、そういう人のことである。石地に蒔かれたものというのは、御言葉を聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことである。その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言葉のために困難や迫害が起こってくると、すぐに躓いてしまう。また、茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言葉を塞ぐので、実を結ばなくなる人のことである。また、良い地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである。
種を蒔いたときに良い土地(良い心)であってこそ、実を結ぶことが出来て得られるものがあるけれど、雑念や自己主管や悟る心がなければ、良いものを与えても瞬間で終わるということです。
自分という心の畑がどういう畑なのかによって、実を結ぶのか結ばずに終わってしまうのかが変わるということです。
まずは自分がどういう心の畑を持っているのか点検、研究する必要があり、石地や茨の土地のようなものがあるのであれば、取り除かないといけません。自己研究して心を良くしていけば、いつかは実を結ぶようになり、祝福を得られるようになります。
だからこそ自分の心をより良くして実を結ぶようになれたら良いですね。
Takomaru
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